新潟市民芸術文化会館の専属舞踊集団芸術監督の金森穣さんが、『闘う舞踊団』(夕書房)を書かれた。これは自治体で文化行政を担う人であれば、是非とも読んでほしい本だ。この国に劇場文化をつくりあげたいと考えてきた舞踊家が何を考え、どのような経緯で活動を継続させてきたか。まさに劇場が公共的であるということはどのようなことかということを考えさせられる。たんに優れた舞踊家が活躍できればよいといった以上の、社会における芸術・芸術家の位置づけを問いかける。それは、プロフェッショナルな芸術家というものはどのようなものであって、優れた芸術家が地域に存在する意味から、消費型の文化や東京からの供給が良い物と勘違いしている(運営側と受容者側双方の)日本人の思考の在り方まで、自治体が設置し(運営し)たからこそ起きる様々なすれ違いやボタンの掛け違いのようなことが赤裸々に綴られている。私自身、Noismの問題をどのように扱っていくかを文化会館側が苦慮しているときに、学生とともに訪れたことがあった。そのときになぜ財団側があまり積極的に動かないのか不思議に思ったが、それまでも大変苦労してきたことが綴られていた。金森さんの思いや目指していることが大きく尊いだけに、そして何かすれ違いが起きるたびに金森さんが自分の振るまいも含めて反省して考察しているからこそ、とても胸が痛む。舞踊家がこの国に劇場文化をつくりたいと言うことと、自治体側で劇場文化を形成したいと考えている具体的な像には明らかに違いがある。とはいえ、これまでに金森さんがまさに闘ってこられたことが広がりをもてない事情についても、金森さんは厳しい目を向けている。私は、金森さんの書いておられることも、そして自治体側の置かれていること、状況もよくわかる。この分野における日本社会が抱える問題をつぶさに明らかにしており、考えさせられる。

劇場法が施行されてちょうど10年が経った。この間、劇場音楽堂等活性化事業や機能強化事業が展開されたはずである。ここで活性化され、強化されたものは何であったのか、補助事業でできることは時限的な取り組みに過ぎなかったのではないか。補助事業で活性化されてきたものは、芸術の質を高める方向や実演家が本当に活躍するようなものだったのか。あるいは、地域に劇場があってよかったと住民に思っている方向性に作用したのか。「劇場」を活性化するということは、「劇場文化」を形成することだ。金森さんは100年かかると書いている。次の10年をどのような10年にしていくか、事業の在り方が問われるのではないだろうか。(M.K)